「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2018年1月の鈴木藤助日記を読む会

1月22日、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

井上攻先生は、都筑区史編纂に関しての講義で、お江の化粧料であった村々の話題を考えているそうです。
横浜・川崎市域の旧村名、川和村、石川村、箕輪村、王禅寺村などは、二代将軍秀忠の正室お江の化粧料であり、その後増上寺の御霊屋料となりました。各村には崇源院(お江)逝去の際、棺を担いだとする由緒があります。川和村の古記録によると、家康、秀忠、お江の命日を休日にしたとあるそうです。将軍家との縁が深く、村の人たちもそれを誇りに思っていたとのこと。増上寺との関係により一般の諸役を免除されるという特色を持っていました。

「鈴木藤助日記」は、明治6年10月22日より10月29日までの記事を読みました。
23日、井田文三が副戸長になり東泉寺へ出張したとあります。井田文三とは、長尾村名主勘左衛門の息子で、自由民権運動で活躍した人物です。村の有力者の世代交代を感じさせます。
24日、向の武兵衛宅にて祝儀があり、銭300文と半紙2状を持っていきます。お祝いとしての相場だったのでしょうか。現在の祝儀事情にも話が及びました。
通常の文字より少し大きな文字で、天草を煮だしトコロテンを作るレシピが記されています。
また、船に対する税金の記述があります。当時鈴木藤助家では、川舟3艘を持っており、その税金が6貫750文だったことがわかります。

◆ 次回  2月19日(月)10時より
◆ 次々回 3月19日(月)10時より

 

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    荏田村下宿の庚申塔

 

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2017年12月の鈴木藤助日記を読む会

12月19日、鈴木藤助日記を読む会がありました。

横浜市歴史博物館では都筑区の歴史編纂を進めているそうです。地域の長老に江戸時代の村絵図を見てもらうと、1970年以前の長老の記憶の中にある地域の地図と一致するとのこと。例えば江戸時代の村絵図の「しこい」(肥溜め)の位置は、長老の記憶にある肥溜めの位置とほぼ同じ。つまり1970年以前の地域の変化は少なく、逆に1970年代以降の変化は激しいことが改めて確認できるようです。
さらに話題は、文化財行政へと及びました。文化財保護法の改定により、2020年までに文化財を観光資源として活用することが推進されようとしています。文化財の保護よりも活用重視の政策に問題はないか、長期的な視野に立った文化財行政となっているか、変化するであろう行政のあり方が問われています。

「鈴木藤助日記」は、明治6年10月16日より10月21日までの記事を読みました。
17日に榎木戸の芝居へ出かけた藤助家の使用人たちが帰らず、次の日に帰宅したと記されています。朝まで芝居興行があったのでしょうか。どんな芝居だったのか気になるところです。
20日「化育舎井戸」との記述があります。化育舎(化育学舎)とは明治6年成立したこの地域の小学校です。小学校の設備を整えるための井戸掘りをしていることが分かります。
21日には「箒売りの浪人」が騒いだので溝ノ口の廻り者へ届けた記事があります。失業した侍が押売りをしていたのでしょうか。幕末よりも明治初期の治安は悪かったとのこと。時代の変わり目には治安が悪化するという興味深い事例です。

◆ 次回  1月22日(月)10時より
◆ 次々回 2月19日(月)10時より

 

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津久井道沿いの「榎木戸」と呼ばれた地域

現在の多摩警察署裏辺り

 

 

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2017年11月の鈴木藤助日記を読む会

11月7日、鈴木藤助日記を読む会がありました。


先日のシンポジウムの話から、明治維新の評価の話題に及びました。
明治維新100年の頃、明治維新の変革の主体は誰だったか。維新の英雄か、又は民衆こそ主体だったのかの議論を戦わす時代がありました。
明治維新150年の今、明治維新は変革だったのか。
「パクス・トクガワーナ」の基礎の上に築かれた明治維新であるなら、260年戦争のなかった徳川政権を再評価してもよいのではないかという歴史学の流れがあるそうです。英雄ではない庶民の記録、庶民の営みの積み重ねの中にその答えを探す研究が、日記史料の研究といえるでしょう。

 

明治6年10月14日より10月16日までの日記を読みました。


この時期、隣村である平村に住む職人が来てカゴ作りが行われています。3人で4日間も作業しています。どんなカゴができたのでしょう。
16日の日記をみると、榎木戸の芝居へ女たちが出かけ、夜遅く帰ってきた様です。榎木戸とは登戸から生田へ向かう途中にある地名で、枡形城の入口=木戸に榎があったことから付けられた地名だそうです。昔は賑やかな場所だったとのこと。芝居小屋が立つほどの所だったのですね。


◆ 次回  12月19日(火)10時より
◆ 次々回 1月22日(月)10時より

 

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  登戸宿・北向地蔵と馬頭観音 

 

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2017年10月の鈴木藤助日記を読む会

10月24日、鈴木藤助日記を読む会がありました。
明治6年10月7日より10月13日までの日記を読みました。

この時期、等覚院の屋根の茅葺きをしていて、茅を運んだり屋根屋が来たりしていますが、漸く終了したようです。
茅葺き作業は共同体の仕事で、村の人たちが協力して行う作業ですが、専門職の人もいたようで、日記には「やね辰・万」という名が出てきます。
今では珍しくなってしまった茅葺き屋根や茅葺き作業ですが、5~60年前には普通に存在していました。
茅のみを葺くこともありますが、茅の間に杉皮を入れる方法もあり、それを「混ぜ葺き」と呼んだとのこと。

10月10~11日の日記には、溝ノ口の邏卒が登場します。
明治初期の警察官のことで、「らそつ」と読みます。
新しい時代の社会状況を示す記述です。


◆ 次回  11月7日(火)10時より

◆ 次々回 12月19日(火)10時より

 

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    等覚院山門の仁王像

 

 

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「日記からみる戊辰戦争と地域」の報告

相武地域史研究会の第3回シンポジウムが、10月14日に東海大学湘南キャンパスにて開催されました。
テーマは「日記からみる戊辰戦争と地域」―明治維新150年― 
報告者の一人として、小林紀子さん(横浜市歴史博物館)が
「江戸近郊農村の戊辰戦争
  ―武蔵国橘樹郡長尾村「鈴木藤助日記」からー」
という表題で報告をされました。
当日は多くの聴衆が詰めかけ、関心の高さを伺うことができました。

東海大学教授の馬場弘臣先生の詳しい報告を紹介します。

シンポジウム「日記からみた戊辰戦争と地域―明治維新150年―」報告 | Professor's Tweet.NET

毎月「鈴木藤助日記」を読んで、日記の記事の内容に一喜一憂し、歴史の一コマとして庶民の暮らしを感じてきた私たちです。
しかし、さらに異なった側面、地域的に日記を捉えることができることを知りました。
江戸近郊であるけれども東海道沿いではない鈴木藤助の住む長尾村の地域的特徴に言及された議論を興味深く聞きました。
当日配られた資料の写真を添えます。

 

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日記からみる戊辰戦争と地域

相武地方史研究会第3回シンポジウムの情報です。


「日記からみる戊辰戦争と地域」―明治維新150年― 
2017年10月14日(土)
13:30~17:00(13:00開場)
会場 東海大学湘南校舎 11号館402教室
入場 無料

小林紀子さん(横浜市歴史博物館)が
「江戸近郊農村の戊辰戦争
  ―武蔵国橘樹郡長尾村「鈴木藤助日記」からー」
という表題で報告をされます。 

鈴木藤助日記を読む会の一員として興味深く、応援したい気持ちです。

  

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2017年9月の鈴木藤助日記を読む会

9月4日、溝口のちどりにて鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
明治6年10月4日より10月6日までの日記を読みました。 

 近所では葬式があったり、婚礼があったり、日常が描かれています。
この頃、藤助家の敷地内の炭小屋を改装して、学校の仮校舎を作る作業をしており、大工、畳屋、黒鍬などが出入りしています。
明治6年化育学舎として誕生したこの学校は、明治10年経綸学校と名前を変え、その後いくつかの統合を繰り返して向丘小学校となります。

 

 相武地域史研究会シンポジウム(第3回)

井上攻先生からのお知らせですが、相武地域史研究会シンポジウムが開催されます。テーマは「明治150年記念 日記からみる戊辰戦争と地域」、神奈川の村に残る日記から、戊辰戦争期の様相を探ろうというもので、それを民衆がどう捉えていたかを明らかにするものです。横浜市歴史博物館小林紀子さんにより『鈴木藤助日記』の記事を扱った報告があります。だれでも出席可能です。詳しくは別記事「日記からみる戊辰戦争と地域」をご覧ください。

 

◆ 次回  10月24日(火)10時より

◆次々回 11月7日(火)10時より

  

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等覚院山門天井の天女の絵(秀鷲の署名あり)

 

 

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