鈴木藤助日記を読む会が6月12日溝ノ口のちどりでありました。
日記は、明治6年9月17日から25日まで読みました。
9月17日
藤助夫人のおよしが大谷へ出かけています。長尾村内の大谷(井田彦七家)はおよしの実家で、相談事があると人が呼びに来て、およしは実家に行くのです。頼り甲斐のある「おば」だったのでしょう。
9月18日
太七が菅生に医師山口氏を迎えに行っています。
9月19日
医師山口氏が来て、おけいの診察をした様子。おけいは藤助の娘で、東京に嫁いでいるが、里帰り中に体調を崩したと思われます。
9月20日
出店から牡丹餅が届きます。出店とは、藤助の息子乙五郎が宿河原に営んでいる店です。
9月21日
秋元倅の良太郎が体調を悪くしたため、等覚院にて祈祷の護摩をあげています。当時は健康も神頼みでした。
9月22日
藤助家は金銭貸付の商売も行っているが、それに関わる人物が集まり議論中です。決着が付かないため、また集まることにしました。
9月23日
古着店の庄兵衛とおともが来ます。古着店は藤助家の隣で、長尾村の万三店(よろずさんだな)の一軒です。おともは藤助の娘で、隣家へ嫁ぎました。おともからみると、庄兵衛は義理の父です。
9月24日
下勘左衛門が来ます。井田勘左衛門は長尾村に2人いる名主の1人です。明治6年なっても村の指導者であり、田畑書上げのことで取調の必要があることを藤助に話に来たのです。
9月25日
等覚院で無尽が行われました。等覚院は公民館的な役割も持っています。
この日は午後から参加者全員で、長尾辺りの散策に行きました。
詳しくは別記事「長尾の散策」をご覧ください。。
◆次回 7月10日(月)10時より
◆8月はお休みです
川崎市宮前区・等覚院山門
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