都筑区川和町の中山恒三郎家から、歴史的に貴重な資料が横浜開港資料館へ寄贈されたというニュースが発表されました。
http://www.yokohama-history.org/files/6914/9213/7059/d4eada39e34b954d0e7a5bfa72f89a23.pdf
この情報を井上先生から伺いました。中山恒三郎家では菊の栽培を行っており、観菊会には東京や横浜から多くの人が訪れたとのこと。これらの人々の中には、著名な政治家である大隈重信や松方正義、北白川宮などの皇族もいたそうです。
そこで鈴木藤助日記の中に、川和に菊を見に行く記事を探してみました。
明治十一年十一月十三日
留五郎・向庄三郎・相良先生・下山根氏同道川和村へ菊見ニ行夕方帰り来る
明治十六年十一月八日
保三郎・下ノ山根公・上作村金吾并ニ耕地ノ桂三郎・学校ノ教師・古キ店台次同道ニて川和村へ花見ニ行、花見連中夕方一同帰り来
明治二十一年十一月五日
原町田ヨり留五郎・清助・重蔵・栄助・平蔵川和村ノ菊へ廻り五時頃帰ル、悦蔵車ニて保三郎原町田夜ニ入テ帰ル
明治11年、16年、21年の3回、藤助の近しい人たちが連れ立って、川和村の菊を見に行ったことがわかります。
中山家の菊が有名で、近隣の庶民も観菊を楽しんでいた一例です。
観菊のイメージ画像
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