「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

7月の鈴木藤助日記を読む会

鈴木藤助日記を読む会が7月10日に開かれました。

明治6年9月26日より10月3日までの日記を読みました。

 

9月26日、学校の先生である松月堂と、隠居と呼ばれる人がケンカをして、伊兵衛が「あつかい」をします。「あつかい」とは訴訟や争い事の仲立ちをするという意味。昔は地域から信頼される人が、「あつかい」役を頼まれることがありました。まさに頼もしい人ということです。

この時期、等覚院では大工が出入りしています。藤助家の使用人が下川原の鈴木家へ等覚院の瓦代金を借用に行く記述があり、等覚院の屋根普請をしているようです。 

10月1日、学区取締の小杉村の安藤彦太郎(のちの久重)と長尾村下川原の鈴木久弥が、学校見廻りに来ています。

2日、藤助家の炭小屋に床をはり、学校を作ることになりました。学制により小学校を設立することが急務でしたが、ただちに小学校を新設することは不可能であったため、当面は寺子屋・私塾を小学校へ改編することとなりました。長尾村では、江戸時代からの松月堂(杉浦先生)という寺子屋が、化育学舎という小学校に改編されていくことになります。その小学校の仮校舎が、藤助家の敷地内にできるのです。小学校設立の過程が日記に垣間見えるのは興味深いことです。 

 

◆  8月はお休  

◆  次回は9月4日(月)10時より

 

 

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  等覚院の手水槽を支えている石像

 

 

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