「鈴木藤助日記」を読もう

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2018年4月の鈴木藤助日記を読む会

4月2日(月)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

4月より新しい年度が始まりました。それに伴う学芸員の方の人事異動があったことを、井上攻先生より伺いました。
藤助の住んでいた長尾村では、二ケ領用水沿いの低い土地を耕地長尾(コウチナガオ)と呼び、山と谷が入り組んだ丘陵地を谷長尾(ヤトナガオ)と呼びます。この耕地と谷という呼び方は一般的で、耕地は河内と記すことがあります。また谷は谷戸(ヤト)と記すことがあり、谷戸とは「丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形」或いは「水はけの悪い低湿地」のことを指すようです。

「鈴木藤助日記」は、明治6年11月13日より11月19日までの記事を読みました。
藤助の娘のおことが、小山田村の縁者の仲介で久保沢村へ縁付くことになり、婚礼が11月17日にあったようです。藤助夫人であり、おことの母であるおよしは、小山田村へ行き婚礼の準備に忙しい様子。16日には小山田村より使いの者が、長持の油箪(長持にかける覆いの布)とわたぼうしを取りに来ています。18日、おことの婚礼を無事終えて、およしは駕籠で帰って来ています。
11月17日、教師の寄合が溝の口村であるとの記述があります。新しい教育行政の動きです。
藤助家では質屋も家業の一つでした。11月19日にある「質物さしかえ」とは何かと議論になりました。冬物と夏物の入れ替えのことかも知れないとの意見に、皆が納得しました。今では想像力を必要とする事柄ですが、興味深い事例です。

◆ 次回  5月14日(月)10時より
◆ 次々回 6月11日(月)10時より

 

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     等々力不動尊

 

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