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朝日新聞4月14日の記事

 4月14日、朝日新聞の朝刊、第2神奈川面に「神奈川の記憶」シリーズとして、「戊辰戦争(下)抗戦に向かう旧幕府勢力」と題する記事がありました。7日の記事に引き続き、横浜市歴史博物館小林紀子さんがインタビューを受けています。「長尾村(川崎市多摩区)でしょうゆ醸造業を主としていた鈴木藤助の日記をたどる」形で記事は記されています。


 『鈴木藤助日記』の慶応4年閏4月26日に、彰義隊関係者がやってきて金6千両を差出すよう要求されたとあります。その後仁義隊、報恩隊、純忠隊など旧幕府勢力が次々とやってきて大金を要求。この要求に藤助を含む長尾村の有力者は右往左往することになります。無謀な搾取といえるこの要求は、5月15日の上野戦争彰義隊など旧幕府勢力が負けることによって落ち着きました。


 朝日新聞の記事では、慶応4年4月11日江戸城は新政府側に明け渡されたが、旧幕府勢力が簡単に引き下がったわけではなく、5月15日彰義隊上野戦争に至る2ヵ月間(閏4月をはさむ)緊迫状況は続いたと記しています。
 小林紀子さんは、「江戸城を失った旧幕府勢力にとって、江戸周辺の地域は新政府軍に対抗するための資金や物資の補給源でした」と話しています。
 横浜や横須賀は新政府側がいち早く掌握したのですが、藤助の住む長尾村辺りは、旧幕府勢力の活動できる余地があったことを物語っています。