10月9日(火)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
ある会員さんが、読売新聞「生活を支えた相模の水運」(9月2日)の記事の切り抜きを持ってきてくれました。相模川は相模国の物流の大動脈で、相模川の水運については、廻船問屋の古文書などの記録が残っており、歴史的にも研究されているようです。一方多摩川の水運については、記録が少ないとのこと。「鈴木藤助日記」の記述から藤助家では、塩や小麦を多摩川の舟で運んでいたことが分かります。「鈴木藤助日記」から多摩川の水運について、少しでも解明できたらよいと思います。
明治初期ウサギをペットとして飼う人が激増、海外からウサギを飼う習慣が入ってきて人々の心をとらえたようです。それに伴いウサギの値段が高騰し、飼育して高値で売ろうとする輩が出てきました。ウサギバブルといえる風潮を危惧した東京府は、ウサギ1羽につき1円を徴収するなど対策を取りました。
(「明治日本に訪れたウサギバブルの結末」参照)https://moneyforward.com/media/life/69675/
「鈴木藤助日記」の明治6年12月23日に、「平郡次方より兎の子をもらう」という記事があります。ちょうどウサギバブルに対応した時期と重なります。高いウサギ税を回避するため放出されたウサギが、藤助家にもやってきたのかもしれません。これも会員さんからの情報で、読む会当日の話題になりました。
「鈴木藤助日記」は、明治7年1月1日より1月6日までの記事を読みました。
明治7年の新年を迎え、藤助家では藤助や息子の留五郎が、長尾村内の主だった家へ年礼に行っています。
2日から樽拾いの雇人がきています。この日が仕事始めだったのでしょうか。
3日、年玉に鳥が来るとあります。ニワトリでしょうか。戦後すぐ、今から60年前こと、締めたキジ(雉)を贈答品としていた事例があり、キジはとても綺麗だったそうです。
鳥を捕まえる銃、更には刀の話にまで話が及びました。
◆ 次回 11月27日(火)10時より
◆ 次々回 12月18日(火)10時より
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