1月27日(月)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
26日に放送された「日曜美術館」において、川崎市市民ミュージアムのことが放送されました。「被災した美術品を救え!~文化財レスキュー最前線~」と題された内容は、被災した収蔵庫の様子や被災品の状況を知らせる内容でしたが、同時に前途の厳しさを想像させるものでありました。
引き続き、この情報に注視していきたいと思います。
「鈴木藤助日記」は、明治7年5月1日より5月15日までの記事を読みました。
1日、小僧がかいこを持って来ると記されています。
明治初期の日本の主な輸出品である生糸を生産するために、かいこを飼ってその繭から生糸を作る養蚕業が奨励されていました。藤助の住む長尾村周辺でも、かいこを飼っていたのでしょう。宿河原村の蚕種紙は有名ですが、土橋神社に蚕影山(こかげさん)を祀る石造物があるとのこと、養蚕が行なわれていたことがわかります。
1日、留五郎とおと代は子供たちを連れて東京へ行きます。おとよの入れ歯を作りに行くと記されています。東京のどこに行ったのか詳しい情報はありませんが、興味深い記述です。帰宅が6日とされており、当時は入れ歯を作るのも泊りがけだったのですね。
◆ 次 回 2020年2月17日(月)10時より
◆ 次々回 2020年3月23日(月)10時より 中止
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