「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2019年6月の鈴木藤助日記を読む会

6月10日(月)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

井上攻先生のお話。
横浜市歴史博物館において「〝道灌以後″の戦国争乱」の展示が始まります。
太田道灌は、江戸城築城や山吹伝説で知られる室町時代の武将です。今でも人気のある人物で、複数の墓所があり、ゆかりの地には銅像が建てられています。展示では〝道灌以後″の子孫たちの動きに注目しています。太田氏に関連する史料として、横浜の市ヶ尾に伝わる古文書が紹介されるそうです。身近な地域の歴史から関東全体の歴史を展望できる期待が高まります。

「鈴木藤助日記」は、明治7年3月5日より3月17日までの記事を読みました。
3月9日、藤助の妻およしの実家である大谷(おおやと)から手紙がきます。宿河原の井戸埋めをするので、人足を出して欲しいとのこと。12日、宿河原まで人足が井戸埋めに行っています。
井戸埋めについて話が広がりました。井戸を埋めるという行為はあまり聞いたことがない、井戸は神聖な場所なので埋める前にはお払いが必要、埋めた後には空気を通す息抜きを作るなど、生活に必要な水を得るための井戸について思いをはせました。
3月14日、天保銭の話が記されています。
天保銭とは、江戸幕府天保年間に作った銅銭で、天保通宝のことです。形は楕円形で中心部に正方形の穴が開けられています。明治維新後も、天保通宝1枚が8厘と換算され流通したそうです。
会員さんが、『近代川崎人物伝 ~川崎の礎を築いた偉人たち~』(川崎市民ミュージアム編)の中から、「鈴木久弥」のページを印刷してきてくれました。
藤助日記には「下川原久弥」として登場します。鈴木久弥(房政)は、自宅の敷地内に学校を開業し、学区取締などを歴任、さらに第1回神奈川県会議員を努めるなどして地域発展に貢献しました。長尾村の旧家・鈴木家の当主で、鈴木藤助家は数代前にこの家から分家しました。藤助の息子留五郎の妻おとよも、この家から嫁いできています。


◆ 次回  7月29日(月)10時より
      8月はお休み

 

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