「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2024年1月の鈴木藤助日記を読む会

1月15日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館における令和5年度コレクション展『藤助さんと幕末』のちらしが出来上がりました。

この展示では、ペリー来航から37年間に渡って記された武蔵国橘樹郡長尾村の「鈴木藤助日記」を中心に、近世から近代へ移り変わっていく時代を村の動きを通して紹介します。

 

 

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)8月22日より28日までの記事を読みました。

8月24日に「御公家様御帰京」とありますが、寺西先生によると6月に12代将軍徳川家慶が亡くなり、その諡(おくりな)を授けに来た公家一行が帰京したのだろうとのこと。家慶の諡は慎徳院といいます。

8月22日、欄外に「醤油仕込之事」とあり、この日に醬油の仕込みを行っている様子です。この時期大豆の値段が高いので、いつもより小麦の割合を増やし、大豆の割合を減らして、醤油を仕込んでみると記されています。醤油の作り方についての話題で盛り上がりました。

 

  • 次回    2月26日(月)10時より
  • 次々回   3月11日(月)10時より
  • その次   4月22日(月)長尾村散策予定

 

 

 

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2023年12月11日の鈴木藤助日記を読む会

12月11日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館において令和5年度コレクション展『藤助さんと幕末』が開かれます。「鈴木藤助日記」修復・撮影終了報告を兼ねた展示で、近世農民日記活用の可能性もあわせて紹介します。鈴木藤助日記を読む会の会員として、大変楽しみな企画です。会期は2024年2月17日(土)から3月24日(日)までの29日間。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)8月16日より21日までの記事を読みました。

8月16日、川崎役六人買上ケ云々の記事があります。藤助の住む長尾村は、川崎宿の加助郷村となっており、度々川崎宿に人馬を供出しますが、この時期はお金で解決していた様子です。

8月17日、月並念仏の日に久地の母親の二十一年忌を行ったとあります。念仏講には月並念仏と法要念仏の要素があるとのこと。また、会員さんの中にも念仏講の経験者が複数いることが分かり、念仏講の話題で盛り上がりました。

 

  • 次回    1月15日(月)10時より
  • 次々回   2月26日(月)10時より
  • その次   3月11日(月)10時より

 

 

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2023年11月13日の鈴木藤助日記を読む会

11月13日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

「令和5年度かながわの遺跡展『華ひらく律令の世界』」の展示が行われます。茅ヶ崎と横浜の会場で開かれる展示で、茅ヶ崎会場は茅ヶ崎市博物館にて12月16日より、横浜会場は神奈川県立歴史博物館にて2024年2月3日より始まります。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)8月8日より15日までの記事を読みました。

8月8日、長崎表へ唐船(外国船)が4艘来たとの記述があります。これは嘉永6年7月18日にロシアのプチャーチンが長崎に来航し、開国と通商などを要求した史実を記している様です。大阪より江戸店へ知らせがあり、江戸店へ行った庄兵衛が藤助へ話しています。長崎の情報が、藤助の住む長尾村へもたらされる過程がわかります。

8月9日、奥沢の珂碩上人の巡行仏が巡ってきました。村の人々が参詣に来ています。当時の人々の信仰の様子を垣間見ることができます。

参考資料「巡行仏」⇓

https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/bunka/004/001/d00164372_d/fil/aruzidexe28.pdf

 

  • 次回    12月11日(月)10時より
  • 次々回    1月15日(月)10時より
  • その次   2月26日(月)10時より

 

 

 

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2023年10月の鈴木藤助日記を読む会

10月16日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

この日は特別講義として、川崎市市民ミュージアムの菊地悠介学芸員の『橘樹郡の「茶業」と鈴木藤助家』というお話を聞きました。

菊地先生は、江戸期・明治期におけるお茶の歴史を研究されておられます。

江戸期、お茶は貨幣経済の浸透により庶民にも広まったが、栽培は基本的に一定の生産地のみであったこと。明治初期になり、お茶の輸出が増加した影響で、自家消費で栽培していた地域のお茶が商品として出回るようになったとのこと。

明治期になり、現在の川崎市内を含む橘樹郡でもお茶を生産していたことがわかっています。下菅田村で生産されたお茶は輸出されていた記録もあります。

 

鈴木藤助家でも明治以降、お茶を栽培していました。

鈴木藤助日記には明治3年、長尾村の有力者たちと共に茶畑を作ることが記されています。その後の記述を経て、明治15年5月には、毎日のように茶摘み、茶拵えなどお茶の記述があり、村の人たちの生業になっていました。藤助家の「茶業」は村を巻き込んでの「生産」「流通」になっていたようです。

 

菊地先生には、川崎市市民ミュージアムの活動についてもお話いただきました。修復作業はもちろん、オンライン講座にも力を入れて取り組んでいるそうです。

川崎市市民ミュージアムのWebサイト・YouTubeチャンネルものぞいてみてください。

www.kawasaki-museum.jp

 

  • 次回    11月13日(月)10時より
  • 次々回   12月11日(月)10時より
  • その次   1月15日(月)10時より

 

 

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2023年9月の鈴木藤助日記を読む会

9月4日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、特別展「足柄の仏像」が10月7日から始まります。相模国の西側にあたる足柄地域の仏像は、長年大切に守り伝えられ、地域に密着した信仰のよりどころとなっています。

また、矢倉沢の関所を守ってきた旧家の文書も同時に展示されるそうです。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)8月1日より8月7日までの記事を読みました。

8月1日、藤助は早稲が実入りして、中稲・晩稲も穂が出てきたし、天気も良く花つきもよいと記しています。

稲は田植えをしてから出穂するまで、早稲は50日間、晩稲は80日間、中稲はその中間くらい時間がかかると言われています。

稲は穂を出すとすぐに開花し受粉します。受粉後7~10日間で、籾の中では胚が完成し、養分を蓄積し始めるとのこと。つまり実入りし始めるのです。

穂が出てから35~45日の間で、穂の全体の90%が黄金色になったころが収穫の目安です。

身近な作物なのに知らないことが多いと感じます。

 

  • 次回    10月16日(月)10時より
  • 次々回   11月13日(月)10時より
  • その次   12月11日(月)10時より

 

 

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『近世の村・地域と運営主体 ―相給・入寺・文字文化―』

37年間鈴木藤助日記を読む会を続けてこられて、昨年5月に退任された井上攻先生のご著書の紹介です。

この度、野の花出版社より井上攻先生の40年にわたる研究者人生の集大成とも言うべき研究書『近世の村・地域と運営主体 ―相給・入寺・文字文化―』が刊行されました。長い間先生の講義を受けてきた者にとっても、聞きなじみのある言葉が散りばめられています。特に、鈴木藤助日記に直接かかわる目次をご紹介します。

 

第13章 幕末維新期の農村日記活用

       ―武州橘樹郡長尾村鈴木藤助日記の個性から―

   はじめに

   1 生活史料としての日記

   2 日常記述の分析

   3 非日常記述の分析

   おわりに―明治期の変化と不変化

 

補論6 19世紀の神奈川湊と塩の流通

       ―武州橘樹郡長尾村鈴木藤助日記を中心に―

   はじめに

   1 全国的流通構造と神奈川湊

   2 赤穂と撫養の廻船と神奈川商人

   3 神奈川湊からの塩の流通

   4 多摩川舟運と神奈川湊

   おわりに

 

同書は、オンデマンド版でAmazonでも取り扱われています。

近世の村・地域と運営主体―相給・入寺・文字文化― | 井上攻 |本 | 通販 | Amazon

井上先生のご著書を通して、鈴木藤助日記に関わりながら歴史学の一端に触れていたいと改めて感じました。

 



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2023年7月の鈴木藤助日記を読む会

7月10日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

寺西先生は、7月9日に行われた大森厳正寺の水止舞を見学されたそうです。多摩川下流域は古くから水害に悩まされてきたため、雨を止めるように祈る行事があるとのこと。藁でぐるぐる巻きにされた白装束の二人の男性が法螺貝を吹きつつお寺まで運ばれます。道中周囲の人たちはこの二人にザブザブと水を掛ける。龍神をこらしめて、その後雨が止んだことに感謝の獅子舞を奉納します。雨が降るように祈る雨乞いの行事は多くありますが、雨を止めるよう祈る行事は大変珍しく、東京都の無形民俗文化財に指定されています。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)7月20日より7月29日までの記事を読みました。

7月22日、藤助は中稲の穂が出てきたことを記事にしています。6月頃より雨が降らず米の成育を心配していた藤助でしたが、陽気も良くなり安堵していることがわかります。

またこの頃、大豆の新物が出始めて、用賀では1両で6斗5升、二子では1両で6斗3升、神奈川では1両で7斗などと記しています。藤助の本業の一つである醬油造りに欠かせない大豆の価格に敏感な様子が見て取れます。

 

  • 次回     9月 4日(月)10時より
  • 次々回        10月16日(月)10時より

  

 

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