「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2026年10月の鈴木藤助日記を読む会

10月26日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

神奈川県立歴史博物館の根本佐智子学芸員による書籍、『江戸在勤絵日記 松平造酒助の380日』が出版されました。

松平造酒助とは庄内藩の上級武士で、元治元年8月より約1年間江戸に在勤しました。造酒助は江戸在勤中に50冊にもおよぶ日記を記し、100通を超える書簡を国元の家族へ送っています。この日記と書簡を中心に歴史的研究をまとめたのが上記の本となりました。

松平造酒助の日記の魅力は、日々の出来事に加えその時々の造酒助の感情をかわいらしい挿絵と共に記していることです。江戸幕末の様子が大変身近に感じられる日記です。

歴史好きの皆さんには、ぜひ一度手に取ってもらいたい一冊です。

江戸在勤絵日記 - 株式会社 同成社 考古学・歴史・特別支援教育図書の出版社

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)2月26日より2月30日までの記事を読みました。

 

2月28日、「唐舟三船出帆五船残り居候趣承る」と、藤助は日記に記しています。唐舟とは、再来航しているペリー艦隊のことです。この時期蒸気船・帆船など最大で9隻が、応接所のあった横浜村沖に停泊しており、下田やアメリカ本国へ移動した船もあったとのこと。ペリー艦隊の動向に興味の尽きない状況が続いています。

 

・次回        11月2日(月) 10時より

・その次    12月14日(月) 10時より

・その次    1月25日(月) 10時より

 

 

 

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2026年9月の鈴木藤助日記を読む会

9月28日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

約1年9ヵ月の休館を経て、神奈川県立歴史博物館は10月17日に再開します。特別展「入門!神奈川県立歴史博物館―県博の守り伝えていくコレクション―」と銘打ち、自慢の収蔵品を展示する機会となります。

丹波コレクションの浮世絵や横浜焼きなども見所です。横浜焼きとは、開港直後から明治時代にかけて、海外輸出向けに製造した精緻な絵付けや装飾が特徴の陶磁器のことです。

鈴木藤助日記を読む会としても、12月に見学することを予定しています。

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)2月16日より2月25日までの記事を読みました。

 

2月16日、小山田おとみが病死したと記されています。小山田とは現在の町田市にあった村名で、小山田村の有力者若林家のことを指しています。当時の鈴木藤助家と若林家は縁が深く、藤助の娘おことが若林家に嫁ぐほどでした。

若林家については、子孫の方が家のことを語っていて、藤助家の親戚である大谷や宇奈根とも縁があったことがわかり、大変興味深い話を聞くことができました。会員さんに教えていただきました。

2月19日、小山田若林家にて葬式がありましたが、この日が友引なので、昔は友引でも葬式をしたのだろうかと話題になりました。

 

・次回       10月26日(月) 10時より てくのかわさき第5研修室にて

・その次    11月2日(月) 10時より

・その次    12月14日(月) 10時より

・その次    1月25日(月) 10時より

 

 

 

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2026年7月の鈴木藤助日記を読む会

7月27日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

鈴木藤助日記とは、幕末のペリー来航の驚きをきっかけに嘉永6年6月1日より記し始めた鈴木藤助による日記です。鈴木藤助は、武蔵国橘樹郡長尾村(現在の川崎市宮前区)に住み、質屋、醬油醸造などを家業として、村役人なども務める地域のリーダー的存在でした。

長尾村は、低地の河内(耕地)と丘陵部の谷(神木)に分けられ、藤助家は谷の方に属しています。等覚院と縁が深く、平瀬川に面していた藤助家は、向店、古着店と共に万三店(よろずさんだな)と呼ばれていて、経済的にも恵まれていた様子がわかります。

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)2月9日より2月15日までの記事を読みました。

 

2月10日、藤助と向店正蔵(庄蔵)は神奈川へ行っています。この日は再来航したペリーが横浜に上陸し、第1回の日米条約交渉が開かれた日です。残念ながら日記には何も記されていませんが、藤助が何を見聞きしたのか気になるところです。

2月15日、薬研坂の品川岩治郎なる仁が来て、ペリーとの交渉は決着し彼らは帰っていくだろう。今回は米など渡し、3年過ぎたら交易が始まると言っています。ペリー再来航による日米交渉に人々が関心を持っていて、噂が飛び交っていたことがわかります。

 

 

8月はお休み

・次回      9月28日(月) 10時より

・その次    10月26日(月) 10時より

・その次    11月2日(月) 10時より

 

 

 

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2026年6月の鈴木藤助日記を読む会

6月29日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

神奈川県立歴史博物館は改修工事のため2025年1月から長期休館していましたが、いよいよ2026年10月17日(土)に再開館します。最初の特別展は、当館のコレクションの中から選りすぐりの資料を展示する予定です。

現在は改修工事も最終段階とのことで、寺西先生も奮闘中のご様子です。

 

神奈川県立歴史博物館

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)2月1日より2月9日までの記事を読みました。

 

2月1日、ペリー再来航により米価格が値上がりしたけれども、幕府からの厳重なお触れがあり少し値下がりしたと記されています。実際に幕府から嘉永7年1月15日には米価調整のためのお触れが出ています。嘉永6年6月のペリー来航時における米価高騰による経済不安を再び繰り返さないという幕府の意思を感じます。

 

2月3日、ペリー船を見物しない様にとのお触れが出たと記されています。ペリー船は江戸内海の本牧、生麦、大師河原辺りを自由に航行していた様子です。幕府が禁止令を出すほど、陸地から又は船に乗ってペリー艦船を見てみたいとする庶民が多かったそうです。日本人の好奇心の高さにペリーも驚いたといいます。

 

・次回      7月27日(月) 10時より

                              8月はお休み

・その次     9月28日(月) 10時より

・その次    10月26日(月) 10時より

 

 

 

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2026年5月の鈴木藤助日記を読む会

5月18日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生の引率により、大山街道を巡見し、大山街道ふるさと館の展示を見学しました。

 

JR溝の口駅に集合し、栄橋跡から宗隆寺、溝口神社、サイクルショップアダチ、大石橋、灰吹屋の蔵など昔の痕跡を探しながら歩き、田園都市線高津駅で解散しました。

途中の大山街道ふるさと館では、企画展「稲毛の観音札所―川崎のお寺今昔―」を見学。

展示では「鈴木藤助日記」のことが紹介されています。午年の明治3年3月7日から17日にかけて、藤助たち家族は、稲毛三十三所観音札所に参詣しています。

この稲毛の観音札所は、宝暦年間に長尾村の隣、平村の名主家山田平七により成立したとのこと。幕末の藤助日記には、平村の名主家の人物として平左衛門が登場します。

午年である今年の4月にも御開帳があり、三十三番札所に参詣したという話を聞きます。現在は車で回ることが多いと思われますが、今に息づく観音札所巡りをみることができます。

 

川崎市大山街道ふるさと館|トップページ

 

 

・次回      6月29日(月) 10時より

・その次     7月27日(月) 10時より

        8月はお休み

 

 

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2026年4月の鈴木藤助日記を読む会

4月27日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

幕末の長州藩政治の動きを講義していただきました。

毛利敬親が13代藩主となった天保8年(1837年)以降、村田清風が藩財政を再建し、後の倒幕運動の経済的基盤を作ったこと。

改革派である周布政之助や長井雅楽の登場。

藩政は改革派と保守派が入れ替わりながら、思想的には「尊王敬幕」から「尊王攘夷」さらに「倒幕」へと発展したこと。

薩摩藩と共に明治維新の大きな原動力となった長州藩ですが、激動の藩政治が展開されていたことがわかります。

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)1月26日より2月1日までの記事を読みました。

 

1月28日、幕府代官手代出役が溝ノ口村へやってきて、長尾村の主だった者が呼ばれました。山根新左衛門、井田伊兵衛、鈴木藤助、鈴木庄蔵、新井市左衛門、鈴木権六が溝ノ口村へ出頭しました。幕府から米を江戸へ出荷するように要請されたので、500俵の売り出しを受けることにしたと記されています。

 

 

  • 次回     5月18日(月) 9時30分JR溝の口駅改札前集合
  • その次       6月29日(月) 10時より
  • その次    7月27日(月) 10時より

 

 

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2026年3月の鈴木藤助日記を読む会

3月23日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

『売薬と受診の社会史』新村拓著(法政大学出版局)の紹介がありました。

この本は、近世の養生論の時代から健康の自己管理が叫ばれる現代まで、人々の健康医療行動の流れを、売薬購入と受診という行為を切口に記すものです。幕末・明治の医療事情として「鈴木藤助日記」が活用されています。「鈴木藤助日記」にみられる病名・症候群をあげて、状況を考察しています。

売薬と受診の社会史 | 法政大学出版局

嘉永7年1月12日、千代吉が破傷風にかかり、藤助は護摩をたき見舞いに行きますが、翌日は溝の口の医者を呼びに行っています。

破傷風の治療法に関して、『三喜直指篇』では「蝉脱炒末し一銭酒にて用ゆ 神効あり」と記されているそうです。

  *『三喜直指篇』とは、江戸時代の医者・田代三喜の経験方・薬方を中心にまとめた全3巻の医書で、

           1790年(寛政2年)に原昌克が校正・出版したもの

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)1月15日より1月25日までの記事を読みました。

1月18日、長尾村の名主井田彦七家から、ペリー再来航の知らせがはいります。実際には1月16日に浦賀へ来航したので、2日間で情報伝達されたことがわかります。

1月19日、20日には川崎宿助郷のため馬を1疋出し、22日には護摩祈祷を行い、24日には異国船に関する風説を聞いたとあり、狂歌まで記しています。

「御備も二月ニふれかたくなり異国人ニもはニはたつまい」(原文のまま)

ペリー再来航により、世の中が騒がしくなってきたようです。

 

 

  • 次回     4月27日(月) 10時より
  • その次    5月18日(月) 巡見予定
  • その次    6月29日(月) 10時より

 

 

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