「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2026年7月の鈴木藤助日記を読む会

7月27日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

鈴木藤助日記とは、幕末のペリー来航の驚きをきっかけに嘉永6年6月1日より記し始めた鈴木藤助による日記です。鈴木藤助は、武蔵国橘樹郡長尾村(現在の川崎市宮前区)に住み、質屋、醬油醸造などを家業として、村役人なども務める地域のリーダー的存在でした。

長尾村は、低地の河内(耕地)と丘陵部の谷(神木)に分けられ、藤助家は谷の方に属しています。等覚院と縁が深く、平瀬川に面していた藤助家は、向店、古着店と共に万三店(よろずさんだな)と呼ばれていて、経済的にも恵まれていた様子がわかります。

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)2月9日より2月15日までの記事を読みました。

 

2月10日、藤助と向店正蔵(庄蔵)は神奈川へ行っています。この日は再来航したペリーが横浜に上陸し、第1回の日米条約交渉が開かれた日です。残念ながら日記には何も記されていませんが、藤助が何を見聞きしたのか気になるところです。

2月15日、薬研坂の品川岩治郎なる仁が来て、ペリーとの交渉は決着し彼らは帰っていくだろう。今回は米など渡し、3年過ぎたら交易が始まると言っています。ペリー再来航による日米交渉に人々が関心を持っていて、噂が飛び交っていたことがわかります。

 

 

8月はお休み

・次回      9月28日(月) 10時より

・その次    10月26日(月) 10時より

・その次    11月2日(月) 10時より

 

 

 

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2026年6月の鈴木藤助日記を読む会

6月29日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

神奈川県立歴史博物館は改修工事のため2025年1月から長期休館していましたが、いよいよ2026年10月17日(土)に再開館します。最初の特別展は、当館のコレクションの中から選りすぐりの資料を展示する予定です。

現在は改修工事も最終段階とのことで、寺西先生も奮闘中のご様子です。

 

神奈川県立歴史博物館

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)2月1日より2月9日までの記事を読みました。

 

2月1日、ペリー再来航により米価格が値上がりしたけれども、幕府からの厳重なお触れがあり少し値下がりしたと記されています。実際に幕府から嘉永7年1月15日には米価調整のためのお触れが出ています。嘉永6年6月のペリー来航時における米価高騰による経済不安を再び繰り返さないという幕府の意思を感じます。

 

2月3日、ペリー船を見物しない様にとのお触れが出たと記されています。ペリー船は江戸内海の本牧、生麦、大師河原辺りを自由に航行していた様子です。幕府が禁止令を出すほど、陸地から又は船に乗ってペリー艦船を見てみたいとする庶民が多かったそうです。日本人の好奇心の高さにペリーも驚いたといいます。

 

・次回      7月27日(月) 10時より

                              8月はお休み

・その次     9月28日(月) 10時より

・その次    10月26日(月) 10時より

 

 

 

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2026年5月の鈴木藤助日記を読む会

5月18日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生の引率により、大山街道を巡見し、大山街道ふるさと館の展示を見学しました。

 

JR溝の口駅に集合し、栄橋跡から宗隆寺、溝口神社、サイクルショップアダチ、大石橋、灰吹屋の蔵など昔の痕跡を探しながら歩き、田園都市線高津駅で解散しました。

途中の大山街道ふるさと館では、企画展「稲毛の観音札所―川崎のお寺今昔―」を見学。

展示では「鈴木藤助日記」のことが紹介されています。午年の明治3年3月7日から17日にかけて、藤助たち家族は、稲毛三十三所観音札所に参詣しています。

この稲毛の観音札所は、宝暦年間に長尾村の隣、平村の名主家山田平七により成立したとのこと。幕末の藤助日記には、平村の名主家の人物として平左衛門が登場します。

午年である今年の4月にも御開帳があり、三十三番札所に参詣したという話を聞きます。現在は車で回ることが多いと思われますが、今に息づく観音札所巡りをみることができます。

 

川崎市大山街道ふるさと館|トップページ

 

 

・次回      6月29日(月) 10時より

・その次     7月27日(月) 10時より

        8月はお休み

 

 

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2026年4月の鈴木藤助日記を読む会

4月27日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

幕末の長州藩政治の動きを講義していただきました。

毛利敬親が13代藩主となった天保8年(1837年)以降、村田清風が藩財政を再建し、後の倒幕運動の経済的基盤を作ったこと。

改革派である周布政之助や長井雅楽の登場。

藩政は改革派と保守派が入れ替わりながら、思想的には「尊王敬幕」から「尊王攘夷」さらに「倒幕」へと発展したこと。

薩摩藩と共に明治維新の大きな原動力となった長州藩ですが、激動の藩政治が展開されていたことがわかります。

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)1月26日より2月1日までの記事を読みました。

 

1月28日、幕府代官手代出役が溝ノ口村へやってきて、長尾村の主だった者が呼ばれました。山根新左衛門、井田伊兵衛、鈴木藤助、鈴木庄蔵、新井市左衛門、鈴木権六が溝ノ口村へ出頭しました。幕府から米を江戸へ出荷するように要請されたので、500俵の売り出しを受けることにしたと記されています。

 

 

  • 次回     5月18日(月) 9時30分JR溝の口駅改札前集合
  • その次       6月29日(月) 10時より
  • その次    7月27日(月) 10時より

 

 

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2026年3月の鈴木藤助日記を読む会

3月23日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

『売薬と受診の社会史』新村拓著(法政大学出版局)の紹介がありました。

この本は、近世の養生論の時代から健康の自己管理が叫ばれる現代まで、人々の健康医療行動の流れを、売薬購入と受診という行為を切口に記すものです。幕末・明治の医療事情として「鈴木藤助日記」が活用されています。「鈴木藤助日記」にみられる病名・症候群をあげて、状況を考察しています。

売薬と受診の社会史 | 法政大学出版局

嘉永7年1月12日、千代吉が破傷風にかかり、藤助は護摩をたき見舞いに行きますが、翌日は溝の口の医者を呼びに行っています。

破傷風の治療法に関して、『三喜直指篇』では「蝉脱炒末し一銭酒にて用ゆ 神効あり」と記されているそうです。

  *『三喜直指篇』とは、江戸時代の医者・田代三喜の経験方・薬方を中心にまとめた全3巻の医書で、

           1790年(寛政2年)に原昌克が校正・出版したもの

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)1月15日より1月25日までの記事を読みました。

1月18日、長尾村の名主井田彦七家から、ペリー再来航の知らせがはいります。実際には1月16日に浦賀へ来航したので、2日間で情報伝達されたことがわかります。

1月19日、20日には川崎宿助郷のため馬を1疋出し、22日には護摩祈祷を行い、24日には異国船に関する風説を聞いたとあり、狂歌まで記しています。

「御備も二月ニふれかたくなり異国人ニもはニはたつまい」(原文のまま)

ペリー再来航により、世の中が騒がしくなってきたようです。

 

 

  • 次回     4月27日(月) 10時より
  • その次    5月18日(月) 巡見予定
  • その次    6月29日(月) 10時より

 

 

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2026年2月の鈴木藤助日記を読む会

2月16日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

「れきちず」が便利ですとのお話がありました。「れきちず」とは、古地図を現代風の地図デザインで見ることができるWebサイトです。江戸時代後期(1800年から1840年くらい)の地図と現在の地図を簡単に切り替えて比べることができます。例えば横浜あたりを見てみると、開港前は静かな村であり、海岸線はかなり埋め立てられたことを確認することができます。江戸時代の村の名前を検索することもできますし、地形の3D表示にも対応、GPS機能もあるため街歩きにも活用できます。

 

www.bing.com

 

 

「鈴木藤助日記」は嘉永7年(1854年)1月5日より1月14日までの記事を読みました。

 

新しい年を迎えて人の出入りが多く、藤助も忙しそうです。

1月4日、藤助は供の喜助と出府、5日は四ケ市柏屋に泊り、6日は木場に泊り、7日は大師河原大師様へ参詣し川崎宿ふじ屋に泊り、8日帰宅しています。江戸後期の川崎の様子が描かれている「東海道五拾三駅名所 川崎宿大師河原真景」の浮世絵を寺西先生が紹介してくださいました。下記より確認することができます。

第一回 川崎宿 | おうちでヒロシゲ! 大正の広重-江戸の広重 | 神奈川県立歴史博物館

 

 

  • 次回     3月23日(月) 10時より
  • その次       4月27日(月) 10時より
  • その次    5月18日(月) 10時より

 

 

 

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2026年1月の鈴木藤助日記を読む会

1月19日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

 

矢倉沢往還は、江戸赤坂御門から南足柄の矢倉沢に至り、足柄峠を経て駿河国の沼津に通じる古道で、東海道脇往還として重要な街道でした。

江戸幕府は江戸の西方を防御するため箱根に関所を設けましたが、矢倉沢往還の矢倉沢にも関所をおきました。数軒の旅籠と米屋・豆腐屋・履物屋などの商店が並び、旅人や物資を運ぶ人馬で賑わったという矢倉沢。寺西先生が見学会の下見で矢倉沢を訪れたのは小正月の前日で、地域の方々がどんど焼きの準備をされていたとのこと。ここには道祖神などの石碑がいたる所に存在し、宿場時代の面影を垣間見ることができます。

 

「鈴木藤助日記」は嘉永6年(1853年)12月22日より嘉永7年(1854年)1月4日までの記事を読みました。

 

12月21日、丈助髪結とあります。丈助は定期的に藤助家を訪れています。江戸時代の髪結には、「出床」「内床」「丁場(廻り)」という経営形態がありました。丈助は「丁場」に属し、道具を持って得意先を回る髪結を仕事にしていたようです。

12月23日、藤助家で造っている醤油の銘柄「キッコウマル」と「キッコウダイ」の相場が記されています。「キッコウマル」は1両で6樽3分、「キッコウダイ」は1両で7樽5分の割合で取引するとあります。

藤助家の本業である醬油醸造業については、寺西先生の詳しいご研究がありますのでご参照ください。

研究ノート「鈴木藤助日記」に見る江戸近郊農村の中小造醤油家経営

       ー幕末期から明治初期にかけてー      寺西明子・菊地悠介

https://ch.kanagawa-museum.jp/uploads/kpmrr052_2025_teranishi_kikuchi.pdf

 

  • 次回     2月16日(月) 10時より
  • その次    3月23日(月) 10時より
  • その次    4月27日(月) 10時より

 

 

 

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