10月29日(火)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
井上攻先生からのお話。
台風19号により、川崎市市民ミュージアムは壊滅的な被害を受けました。多摩川沿い等々力緑地内の同館の収蔵庫は、地下につくられており、想定外の大雨にて収蔵品が水没。文化庁は、同館の収蔵品の救出・保存活動について支援していく旨の発表をしています。
この先どうなっていくのか推移を見守るところですが、「川崎市民がどうしたいか、どう思うかですよ」と井上先生が話されたことが、印象に残りました。
「鈴木藤助日記」は、明治7年4月16日より4月20日までの記事を読みました。
4月16日、横浜より八王子までの馬車道をつくる計画があり、藤助の住む長尾村内の見積りが5800両であると記されています。
『川崎市史 通史編3 近代』によると、明治7年1月神奈川県は、神奈川から八王子までの馬車道の計画を通達。川崎市域の馬車道新築掛に長尾村の井田彦七も任ぜられました。しかし、開設費が多額で各村の負担が重すぎたため、馬車道計画は頓挫することとなります。
4月18日、蔵一式代金のうち400両受取と記されています。これは藤助家が所有していた大丸村の醤油蔵を売却した代金の一部です。藤助家では借財を片付けるため、大丸醤油蔵売払い計画を進めています。(明治6年12月18日の記事より)
◆ 次回 11月26日(火)10時より
12月10日(火)10時より