10月16日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
この日は特別講義として、川崎市市民ミュージアムの菊地悠介学芸員の『橘樹郡の「茶業」と鈴木藤助家』というお話を聞きました。
菊地先生は、江戸期・明治期におけるお茶の歴史を研究されておられます。
江戸期、お茶は貨幣経済の浸透により庶民にも広まったが、栽培は基本的に一定の生産地のみであったこと。明治初期になり、お茶の輸出が増加した影響で、自家消費で栽培していた地域のお茶が商品として出回るようになったとのこと。
明治期になり、現在の川崎市内を含む橘樹郡でもお茶を生産していたことがわかっています。下菅田村で生産されたお茶は輸出されていた記録もあります。
鈴木藤助家でも明治以降、お茶を栽培していました。
鈴木藤助日記には明治3年、長尾村の有力者たちと共に茶畑を作ることが記されています。その後の記述を経て、明治15年5月には、毎日のように茶摘み、茶拵えなどお茶の記述があり、村の人たちの生業になっていました。藤助家の「茶業」は村を巻き込んでの「生産」「流通」になっていたようです。
菊地先生には、川崎市市民ミュージアムの活動についてもお話いただきました。修復作業はもちろん、オンライン講座にも力を入れて取り組んでいるそうです。
川崎市市民ミュージアムのWebサイト・YouTubeチャンネルものぞいてみてください。
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