「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2017年12月の鈴木藤助日記を読む会

12月19日、鈴木藤助日記を読む会がありました。

横浜市歴史博物館では都筑区の歴史編纂を進めているそうです。地域の長老に江戸時代の村絵図を見てもらうと、1970年以前の長老の記憶の中にある地域の地図と一致するとのこと。例えば江戸時代の村絵図の「しこい」(肥溜め)の位置は、長老の記憶にある肥溜めの位置とほぼ同じ。つまり1970年以前の地域の変化は少なく、逆に1970年代以降の変化は激しいことが改めて確認できるようです。
さらに話題は、文化財行政へと及びました。文化財保護法の改定により、2020年までに文化財を観光資源として活用することが推進されようとしています。文化財の保護よりも活用重視の政策に問題はないか、長期的な視野に立った文化財行政となっているか、変化するであろう行政のあり方が問われています。

「鈴木藤助日記」は、明治6年10月16日より10月21日までの記事を読みました。
17日に榎木戸の芝居へ出かけた藤助家の使用人たちが帰らず、次の日に帰宅したと記されています。朝まで芝居興行があったのでしょうか。どんな芝居だったのか気になるところです。
20日「化育舎井戸」との記述があります。化育舎(化育学舎)とは明治6年成立したこの地域の小学校です。小学校の設備を整えるための井戸掘りをしていることが分かります。
21日には「箒売りの浪人」が騒いだので溝ノ口の廻り者へ届けた記事があります。失業した侍が押売りをしていたのでしょうか。幕末よりも明治初期の治安は悪かったとのこと。時代の変わり目には治安が悪化するという興味深い事例です。

◆ 次回  1月22日(月)10時より
◆ 次々回 2月19日(月)10時より

 

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津久井道沿いの「榎木戸」と呼ばれた地域

現在の多摩警察署裏辺り

 

 

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