「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2018年6月の鈴木藤助日記を読む会

6月11日(月)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

横浜市歴史博物館では、来月より明治150年にちなんだ展示を行います。「戊辰の横浜 村々の幕末維新(仮題)」戊辰戦争期に横浜市域で何がおこったか、その実態を探る企画展です。
その一資料として、鈴木家からお借りした「鈴木藤助日記」が展示されるとのこと。「鈴木藤助日記」の実物と対面できる貴重な機会になりそうです。

「鈴木藤助日記」は、明治6年11月29日より12月11日までの記事を読みました。
11月30日、松月堂が家を売る話が持ち上がります。松月堂とは寺子屋の名前であり、その寺子屋の先生も松月堂と呼ばれています。
12月1日、松月堂の家その他の売却のことで、藤助自身も出かけています。
江戸時代、原則として田畑や家の売買は禁止されており、百姓株を持つ家が潰れると、その田畑や家は村の所有となりました。明治時代になり土地が個人の所有になると売買が可能となりました。
明治初期、家の売買が出来るようになったとはいえ、寺子屋という教育機関の売却の話ですから、村の人たちの合意があり、新しい学校を作るための資金作りだったのかもしれません。

12月3日、化育学舎の勘定書のことについて村の寄合が開かれました。化育学舎とは、長尾村に新しくできた小学校のことです。当時の小学校は村人がお金を出し合って作られました。その勘定書を皆で確認し合ったのでしょう。
この寄合で酒が振舞われたようで、藤助を含む村の指導者らが酒代を負担しています。
松月堂と呼ばれた寺子屋の先生は、杉浦秀鷲といいますが、鈴木藤助日記の中では松月堂と呼ばれ続け、化育学舎の先生になります。

◆ 次回  7月9日(月)10時より
◆ 次々回 8月は休み

 

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