「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2019年3月の鈴木藤助日記を読む会

3月18日(月)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

鈴木藤助日記を読む会の会員であり、横浜あおば史談会の会員でもある方から、『青葉区域の江戸時代からの風習「六阿弥陀詣」』の冊子をご寄贈いただきました。
横浜市青葉区内の6ヶ寺の阿弥陀仏を参詣する風習が、江戸時代に存在したことを丁寧に調査し報告されています。これを「都筑六阿弥陀」と呼ぶそうです。他にも横浜・川崎地域に同様の六阿弥陀詣があったとのこと。さらに江戸の六阿弥陀詣の調査もされています。調査研究のご努力に敬意を表すると共に、読む会の会員で回覧させていただきます。
ちなみに、鈴木藤助日記にも江戸の六阿弥陀詣の記述があり、明治13年9月21日から22日にかけて藤助自身が参詣しています。

「鈴木藤助日記」は、明治7年2月7日より2月16日までの記事を読みました。
2月7日、御嶽山御師(武蔵御嶽神社御師)が来て、藤助家に逗留しています。御師は藤助家に泊まり、長尾村の家々を廻り、角付(かどづけ)をしているようです。御師は、御嶽信仰の「営業マン」として、たくさんの土地を廻り、いろいろなことを知っていたでしょう。このような御師のお話を聞くことも、村の人々には楽しくありがたいことだったと想像します。井上攻先生のお話によると、神奈川宿御師が来ると必ず酒宴になったそうです。
2月9日、藤助の息子の留五郎が酒税を納めるため、横浜に行きます。近隣でお酒を造っている人々の税金を、まとめて持って行く様子です。今に繋がる税制の黎明期です。
2月13日、地域の小学校である化育学舎の先生が、生徒の出席日数取調書を藤助のところへ持ってきます。藤助の印鑑が必要だったのでしょうか。この書類を溝ノ口の会所へ提出するとのこと。教育行政の始まりの時期でもあります。


◆ 次回  4月22日(月)10時より
◆ 次々回 5月27日(月)10時より

 

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