「鈴木藤助日記」を読もう

   鈴木藤助日記を読む会に参加しませんか?

2018年2月の鈴木藤助日記を読む会

2月19日(月)、鈴木藤助日記を読む会がありました。

井上攻先生から書籍のご紹介がありました。

戊辰戦争の新視点 上』に続き『戊辰戦争の新視点 下』が発行されます。
戊辰戦争の新視点 下』には、横浜市歴史博物館小林紀子学芸員が執筆しておられますのでご紹介いたします。

戊辰戦争の新視点 下 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社

「鈴木藤助日記」は、明治6年10月30日より11月4日までの記事を読みました。
11月1日、藤助の孫娘あいが麻疹にかかったとのことで、山口左仲医師が往診に来ています。山口左仲とは五反田村で開業しているお医者さんで、親子3代に渡り医療に従事しているようです。(『川崎市史通史編3近代』参照)
この時期「学校検査」のため役人が長尾村に来るとのことで、勘左衛門や藤助たちは対応に追われています。藤助家の敷地内に化育学舎の仮校舎が炭小屋を改装して作られているため、大工や左官の出入りがあります。
11月2日、平村の出羽様=白幡八幡大神が火事で焼失したと記されています。次の日、藤助家と向店と古着店の3軒で家事見舞いとして金1両を出しています。
火事の話から発展、江戸時代に過失から出火をなした者が寺院に逃げ込むことを「火元入寺」と言うそうです。権力のある寺院で謹慎することにより、その罪を軽減又は許されることがあったとのこと。縁切寺として有名な鎌倉東慶寺や上州満徳寺のように、有力寺院は揉め事を解決する仲裁機能を持ち、人々の和を保つ役割を果たしていたのです。

◆ 次回  3月19日(月)10時より
◆ 次々回 4月2日(月)10時より

 

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      荏田真福寺

 

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