6月28日(月)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
川崎市市民ミュージアムは、令和元年東日本台風による被災後、収蔵品のレスキュー作業を行ってきましたが、最近になり移転して再建する方針が検討されています。
市民ミュージアムの誕生の論文をみると、博物館的構想と美術館的構想があり、元来別々の構想を一体化したことが分かるそうです。こうした誕生の経緯は再建に少なからず影響するのではないかとは、井上攻先生のお話。
「鈴木藤助日記」は、明治8年5月1日より5月7日までの記事を読みました。
5月1日、東京小山の嶋津様殿様が藤助家の奥座敷を借りたいとやってきます。3人の付き添いもいました。昼食と酒を出し、金3両をもらったと記されています。
この記述に関してある会員さんの考察をご紹介。
「東京小山」とは、現在の品川区小山周辺とすると、「嶋津家」にゆかりの地が3つほど浮かび上がります。但し、明治8年の記事なので、品川区東五反田の旧島津本邸(現 清泉女子大学)が有力候補。
「嶋津様殿様」とは、鹿児島の島津氏とすれば、島津久光かその子の島津忠義(第29代当主)が考えられます。彼らの日記など別の資料が存在すれば、人物の特定に至るかもしれません。
- 次回 9月27日(月)10時より (中止となりました)
- 次々回 10月18日(月)10時より
- その次 11月8日(月)10時より
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