「鈴木藤助日記」を読もう

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2022年12月の鈴木藤助日記を読む会

12月12日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館の今月の逸品コーナーでは、鈴木藤助家の「祝儀仏事帳」が紹介されています。「多摩川の川狩」と題され、天保10年4月に南町奉行所の武士たちが川狩に来訪したことがわかります。この川狩とは、多摩川の鮎釣りに伴う遊覧のこと。「祝儀仏事帳」を見ると藤助家では、漁師や船頭を手配したり、食事や宿泊場所を用意したり、川狩に関する世話全般を度々行っていたことがわかります。詳しくはこちら

今月の逸品 | 神奈川県立歴史博物館

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)6月25日より6月28日までの記事を読みました。

この時期、土用見舞又は暑中見舞として頻繁に品物の遣り取りをしています。鮎、菓子折、すもも、まくわうり、小麦粉、砂糖、ほおずき、白玉粉などの品を見ることができます。特に多摩川の鮎は、江戸の武家や商売先への贈答品として珍重されていました。

6月25日、「将軍様御他界之由」とあり、徳川家慶が死去したことが記されています。公式に発表されたことなのか、又は伝聞が先行したことなのか気になるところです。

6月26日、平村の者が大山不動尊を拝み成田不動尊を拝んだ後、説教祭文を致したと記されています。雨乞いに行った者が、御師のところで見聞きした説教祭文を真似て見せたのでしょうか。想像すると興味深いです。

 

  • 次回    1月16日(月)10時より
  • 次々回   2月27日(月)10時より
  • その次   3月6日(月)10時より

 

 

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2022年11月の鈴木藤助日記を読む会

11月14日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生が日記を読み、講義をしてくださいます。

今回は、ある会員さん所蔵の地図をコピーして皆さんに配りました。

一枚は「昔の地図」と題されており、鈴木藤助家を中心に周りの家や道、田畑や山林などを描いた手書きの地図です。藤助の息子の留五郎の名前があるので、明治期のことを聞き書きしたものと思われます。

もう一枚は「大正6年」と書かれている現在の川崎市北部の地図です。

どちらの地図も、藤助日記によく出てくる地名や地域を理解する助けとなります。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)6月20日より6月24日までの記事を読みました。

6月21日、小山田三右衛門よりおことの里扶持の催促があったとあります。おことは、藤助の娘で当時10歳位。幼い時から子どもを里親に出して養育を依頼する代わりに、里扶持として費用を払っていたことがわかります。藤助家の子どもたちは、里親に出されていた記述が他にもあり、当時の習慣だったのかと思われます。

6月23日、大山から水を貰ってきてから7日間の雨乞いが終わりましたが、未だに雨が降らないので、次の日から府中六所神社の雨乞いを始めています。水不足は深刻な様子です。

 

  • 次回    12月12日(月)10時より
  • 次々回   1月16日(月)10時より
  • その次   2月27日(月)10時より

 

 

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2022年10月の鈴木藤助日記を読む会

10月31日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、「特別展 源頼朝が愛した幻の大寺院 永福寺と鎌倉御家人 ―荘厳される鎌倉幕府とそのひろがり―」(10月15日~12月4日)が開催されています。

永福寺は、鎌倉八幡宮寺・勝長寿院とならび重要な宗教装置として鎌倉幕府を支え、東国武士たちに対して文化的に影響を与える存在でした。室町期に焼失してしまう永福寺ですが、跡地から出土する瓦などによって当時の壮麗な姿を偲ぶことができます。鎌倉幕府成立に深く関わった永福寺を、文献・考古・美術などの多彩な資料から明らかにしています。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)6月15日より6月19日までの記事を読みました。

この数日には、ペリー来航に関する記載がありません。人々は漸く日常を取り戻したかの様にみえます。

6月15日、長尾村内の薬師様の開帳に子供たちが出かけています。

6月16日、大山へ雨乞いの水を貰いに行った近隣の村の代表者が戻ってきました。今日から7日間雨乞いをするとのこと。

土用干しを始めたり、お菓子を貰ったお返しに砂糖をあげたり、奉公人を取極めたり、長尾村の藤助家は人の出入りが多く活気あふれる様子です。

 

  • 次回    11月14日(月)10時より
  • 次々回   12月12日(月)10時より
  • その次   1月16日(月)10時より

 

 

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2022年9月の鈴木藤助日記を読む会

9月12日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、『幕末期地方藩士による江戸在勤日記の基礎的研究』という研究成果報告書が発行されました。

庄内藩の上級武士である酒井造酒助が、元治元年から約1年間の江戸在勤の様子を、国元の家族へ知らせるために記した日記や書簡を翻刻したものです。幕末期庄内藩の動向、江戸市中取締、江戸在勤中の生活実態など各方面の研究に役立つと思われます。また、挿入された挿絵が愛らしく、魅力のひとつとなっています。研究成果の報告として、来年3月頃に展示を予定しているとのこと。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)6月12日より6月14日までの記事を読みました。

6月3日に来航したペリー艦隊は、6月6日江戸湾内に測量艇侵入、6月9日久里浜上陸、6月12日退去しています。

武州橘樹郡長尾村の鈴木藤助の周辺でも、ペリー来航の情報が飛び交っており、6月12日の記事には、老中牧野備前守より出された御触が写し取られています。もしペリー船が江戸湾に入ってきた時は、火消役の早半鐘にて情報を伝えるよう指示する内容です。当時の緊迫した空気を感じることができます。

6月14日には、品川妙国寺の記事があります。妙国寺では安産祈願をおこなっていたのでしょう。出産後に腹帯を返す時には別の新しい腹帯を添えること、その時の御礼金の慣習などが書き留められています。

 

  • 次回     10月31日(月)10時より
  • 次々回    11月14日(月)10時より
  • その次    12月12日(月)10時より

 

 

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2022年7月の鈴木藤助日記を読む会

7月4日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、特別展「地図最前線ー紙の地図からデジタルマップへー」が始まります。この展示では、主に近現代の紙の地図に焦点を当て、地図を作り、地図を使った人たちの活動を紹介。各地の地図資料を展示し、紙からデジタルへと移り変わりゆく現代社会において、地図と人の歩みを考えます。期間は7月16日(土)から9月25日(日)まで。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)6月9日より6月11日までの記事を読みました。

6月3日に来航したペリー艦隊は、6月4日サスケハナ船上にて浦賀奉行・与力と会談、6月6日江戸湾内に測量艇侵入、6月9日久里浜上陸、6月10日江戸を威嚇した後、6月12日退去しています。

武州橘樹郡長尾村の鈴木藤助の周辺でも、ペリー来航に伴う大名の防備の動きなど慌しい様子で情報が飛び交っています。6月11日の記事には、サスケハナ船上での会談の内容が記されており、当時の人々の情報伝達力に驚きを隠せません。

6月9日、仕事を休んで雨乞いを行っています。連日雨が降らないことで作物が成長せず枯れてしまう状況は、今の私たちが考える以上に深刻だったと想像します。

 

  • 次回       9月12日(月)10時より
  • 次々回  10月31日(月)10時より

 

 

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2022年6月の鈴木藤助日記を読む会

6月13日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

本日から神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生が講義に来てくださることになりました。寺西先生は、県博所蔵「鈴木藤助日記」の担当者であり、「鈴木藤助日記」の調査研究をされておられます。その成果を伺えることは、何よりも興味深いことです。

最近の状況は、日記が記されて150年以上が経っているため、痛みの目立つ巻目から順次修復しているとのこと。生まれ変わった「日記」に出会えることも楽しみです。

 

寺西明子先生をお迎えして、改めて「鈴木藤助日記」は初巻から読むことになり、嘉永6年(1853年)6月1日より6月8日までの記事を読みました。

6月4日、藤助は親戚の法事のため江戸に出向いた際、ペリー来航の情報を得ています。実際にペリーが浦賀へ来航したのは6月3日なので、驚きの早さですね。

6日には、用賀村の商売仲間からの情報として、ペリー来航に対応するため井伊掃部頭家が人夫や馬を出すらしいとあります。また8日にも、井伊家や薩摩藩島津家などが浦賀へ出ること、長州藩毛利家や安芸藩浅野家が御殿山の警備をすることが記されています。

7日の記事に「昼八ツ半過ニ地震」とありますが、この後も藤助は地震があったことを日記に記し続けます。この丹念な作業が評価されて、「鈴木藤助日記」は東京大学地震研究所の幕末維新の史料として活用されています。「地震史料集テキストデータベース」として電子化公開されていますので、興味のある方はご確認ください。

 

  • 次回   7月 4日(月)10時より
  • 次々回    9月12日(月)10時より

 

 

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2022年5月の鈴木藤助日記を読む会

5月16日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

井上攻先生のお話。

横浜市歴史博物館の紀要が、初めて電子ジャーナルとして発表されました。井上先生の論文「幕末期相給村落の村政運営―武蔵国都筑郡山田村の事例―」も掲載されています。その他の記載も多くの人に読んでもらいたいとのこと。

『近世日記の世界』(福田・藤實編著)がミネルヴァ書房から出版されました。農村日記の研究ではありませんが、「鈴木藤助日記」も近世日記一覧に紹介されているそうです。

 

「鈴木藤助日記」は、明治8年7月1日より7月10日までの記事を読みました。

7月8日、藤助家ではそばを打って、近所の人にそばの馳走をしています。ある会員さんの話ですが、今でもこの地域では、うどんを作ることを「そばを打つ」というとのこと。小麦の産地であったことからも、日記で記された「そば」はうどんのことかもしれないと思います。

 

井上攻先生は、村上直先生から引き継がれて37年間続けていらしたこの会を、この日の講義をもって退かれることになりました。毎月井上先生のお話を楽しみにしてきた者として寂しい思いで一杯です。ここで井上先生のお話として記事を記してきましたが、失礼なこともたくさんあったに違いなく、この場を借りてお詫び申し上げます。長い間ありがとうございました。

6月からは、神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生が来てくださいます。

 

  • 次回    6月13日(月)10時より
  • 次々回   7月4日(月)10時より

 



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