11月14日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生が日記を読み、講義をしてくださいます。
今回は、ある会員さん所蔵の地図をコピーして皆さんに配りました。
一枚は「昔の地図」と題されており、鈴木藤助家を中心に周りの家や道、田畑や山林などを描いた手書きの地図です。藤助の息子の留五郎の名前があるので、明治期のことを聞き書きしたものと思われます。
もう一枚は「大正6年」と書かれている現在の川崎市北部の地図です。
どちらの地図も、藤助日記によく出てくる地名や地域を理解する助けとなります。
「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)6月20日より6月24日までの記事を読みました。
6月21日、小山田三右衛門よりおことの里扶持の催促があったとあります。おことは、藤助の娘で当時10歳位。幼い時から子どもを里親に出して養育を依頼する代わりに、里扶持として費用を払っていたことがわかります。藤助家の子どもたちは、里親に出されていた記述が他にもあり、当時の習慣だったのかと思われます。
6月23日、大山から水を貰ってきてから7日間の雨乞いが終わりましたが、未だに雨が降らないので、次の日から府中六所神社の雨乞いを始めています。水不足は深刻な様子です。
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- 次々回 1月16日(月)10時より
- その次 2月27日(月)10時より
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