6月13日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
本日から神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生が講義に来てくださることになりました。寺西先生は、県博所蔵「鈴木藤助日記」の担当者であり、「鈴木藤助日記」の調査研究をされておられます。その成果を伺えることは、何よりも興味深いことです。
最近の状況は、日記が記されて150年以上が経っているため、痛みの目立つ巻目から順次修復しているとのこと。生まれ変わった「日記」に出会えることも楽しみです。
寺西明子先生をお迎えして、改めて「鈴木藤助日記」は初巻から読むことになり、嘉永6年(1853年)6月1日より6月8日までの記事を読みました。
6月4日、藤助は親戚の法事のため江戸に出向いた際、ペリー来航の情報を得ています。実際にペリーが浦賀へ来航したのは6月3日なので、驚きの早さですね。
6日には、用賀村の商売仲間からの情報として、ペリー来航に対応するため井伊掃部頭家が人夫や馬を出すらしいとあります。また8日にも、井伊家や薩摩藩島津家などが浦賀へ出ること、長州藩毛利家や安芸藩浅野家が御殿山の警備をすることが記されています。
7日の記事に「昼八ツ半過ニ地震」とありますが、この後も藤助は地震があったことを日記に記し続けます。この丹念な作業が評価されて、「鈴木藤助日記」は東京大学地震研究所の幕末維新の史料として活用されています。「地震史料集テキストデータベース」として電子化公開されていますので、興味のある方はご確認ください。
- 次回 7月 4日(月)10時より
- 次々回 9月12日(月)10時より