「鈴木藤助日記」を読もう

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『近世の村・地域と運営主体 ―相給・入寺・文字文化―』

37年間鈴木藤助日記を読む会を続けてこられて、昨年5月に退任された井上攻先生のご著書の紹介です。

この度、野の花出版社より井上攻先生の40年にわたる研究者人生の集大成とも言うべき研究書『近世の村・地域と運営主体 ―相給・入寺・文字文化―』が刊行されました。長い間先生の講義を受けてきた者にとっても、聞きなじみのある言葉が散りばめられています。特に、鈴木藤助日記に直接かかわる目次をご紹介します。

 

第13章 幕末維新期の農村日記活用

       ―武州橘樹郡長尾村鈴木藤助日記の個性から―

   はじめに

   1 生活史料としての日記

   2 日常記述の分析

   3 非日常記述の分析

   おわりに―明治期の変化と不変化

 

補論6 19世紀の神奈川湊と塩の流通

       ―武州橘樹郡長尾村鈴木藤助日記を中心に―

   はじめに

   1 全国的流通構造と神奈川湊

   2 赤穂と撫養の廻船と神奈川商人

   3 神奈川湊からの塩の流通

   4 多摩川舟運と神奈川湊

   おわりに

 

同書は、オンデマンド版でAmazonでも取り扱われています。

近世の村・地域と運営主体―相給・入寺・文字文化― | 井上攻 |本 | 通販 | Amazon

井上先生のご著書を通して、鈴木藤助日記に関わりながら歴史学の一端に触れていたいと改めて感じました。

 



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2023年7月の鈴木藤助日記を読む会

7月10日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

寺西先生は、7月9日に行われた大森厳正寺の水止舞を見学されたそうです。多摩川下流域は古くから水害に悩まされてきたため、雨を止めるように祈る行事があるとのこと。藁でぐるぐる巻きにされた白装束の二人の男性が法螺貝を吹きつつお寺まで運ばれます。道中周囲の人たちはこの二人にザブザブと水を掛ける。龍神をこらしめて、その後雨が止んだことに感謝の獅子舞を奉納します。雨が降るように祈る雨乞いの行事は多くありますが、雨を止めるよう祈る行事は大変珍しく、東京都の無形民俗文化財に指定されています。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)7月20日より7月29日までの記事を読みました。

7月22日、藤助は中稲の穂が出てきたことを記事にしています。6月頃より雨が降らず米の成育を心配していた藤助でしたが、陽気も良くなり安堵していることがわかります。

またこの頃、大豆の新物が出始めて、用賀では1両で6斗5升、二子では1両で6斗3升、神奈川では1両で7斗などと記しています。藤助の本業の一つである醬油造りに欠かせない大豆の価格に敏感な様子が見て取れます。

 

  • 次回     9月 4日(月)10時より
  • 次々回        10月16日(月)10時より

  

 

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2023年6月の鈴木藤助日記を読む会

6月19日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、特別展「関東大震災―原点は100年前―」が7月29日より始まります。

関東大震災から100年にあたる今年、当時の巨大地震による甚大な被害を明らかにします。そして、復興の過程で現在につながる都市の骨格が形成されたという観点から、この大震災を現代社会の原点の一つと捉えているとのこと。何よりも県立歴史博物館の建物自体が、震災をくぐり抜けてきた生き証人です。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)7月19日より7月20日までの記事を読みました。

7月19日江戸から帰宅した藤助は、多くの情報を書き記し、「落書」としていくつかの川柳を載せています。その中には「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」の元歌となったと思われる歌も含まれています。当時の人々による社会風刺のエネルギーを感じます。

7月20日、数日前から出現していた彗星について図を描いて記しています。

この彗星については、『武功年表』にも記されていますし、安倍晴明を祖とし天文・暦道・陰陽道等をもって朝廷に仕えた土御門家による『土御門家記録』にも詳しく記録されているので、見比べてみるのも興味深いです。

  • 次回    7月10日(月)10時より
  • 次々回   8月はお休み
  • その次   9月4日(月)10時より

 

 

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2023年5月の鈴木藤助日記を読む会

5月22日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、特別展「あこがれの祥啓-啓書記の幻影と実像」(6月18日まで)が開催されています。

祥啓とは室町期の鎌倉建長寺の画僧で、その水墨画は巨匠雪舟と並び称されるほど有名だったそうです。そのため後の時代になっても、祥啓の作風を真似た絵が多く存在するとのこと。祥啓にあこがれた絵師、大名、数寄者たちの歴史を明らかにします。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)7月15日より7月19日までの記事を読みました。

この頃、漸く雨が降ったのにもかかわらず田畑は乾き気味です。7月16日には、奥州仙台で稲の植付けが日照りのためいつもの通りできないという情報が入ってきました。米相場に関わる情報に敏感な藤助です。

7月19日、藤助は滞在先の江戸にて得た情報を書き記しています。幕府より出された町触れらしき内容で、南北小口年番名主4名の名前が記されています。ペリー来航直後の世の中の様子を感じることができる記事です。

 

  • 次回    6月19日(月)10時より
  • 次々回    7月10日(月)10時より
  • その次   8月はお休み

 

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2023年3月の鈴木藤助日記を読む会

3月6日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

特別陳列「松平造酒助江戸在勤日記―武士の絵日記―」が開催されていますが、たくさんの方が見学に来ていて好評であるとのこと。

寺西先生は、造酒助の一日のスケジュールを調べられました。造酒助の就寝時間は夜12時頃で、時には1時や2時になることもあり、朝は8時頃起床。殊の外、宵っ張りであることがわかり驚いたそうです。

神奈川県立歴史博物館では、「松平造酒助江戸在勤日記―武士の絵日記―」の動画配信も行っているので、こちらも要チェックです。

 

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)7月10日より7月14日までの記事を読みました。

7月12日、大風雨タツミ風とあり、台風がきた様です。大風のため近所の桐木など数本が倒れたり、稲荷様の鳥居が倒れたり騒然としています。しかし、待望の雨が降ったため、稲が穂を出し、大豆などの作物も成長しそうだと胸をなでおろす藤助でした。

 

  • 次回    4月3日(月)10時より(先生のご都合により中止)
  • 次々回   5月22日(月)10時より
  • その次   6月19日(月)10時より

 

 

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2023年2月の鈴木藤助日記を読む会

2月27日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、特別陳列「松平造酒助江戸在勤日記―武士の絵日記―」が、2月18日から始まりました。

3月には博物館の講堂にて、鈴木藤助日記を読む会の会員向けに、学芸員の方の展示解説を特別に行ってくださいます。鈴木藤助日記とは異なる魅力を「松平造酒助江戸在勤日記」に見つけることができると思います。

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)7月5日より7月9日までの記事を読みました。

7月7日は五節句のうちの七夕の節句です。五節句とは、無病息災・豊作・子孫繁栄などを願って邪気を払うための行事でした。江戸時代になり、幕府が節句を公式の祝日にしたことが、現代に伝わる五節句のルーツです。

嘉永6年7月7日の藤助家には、人々が日頃のお付き合いを感謝してお礼の品を持って訪れています。その品物はそうめん・玉子・菓子折・すいか・とうがんなど。藤助日記には節句の日に人々の往来があったことがよく記されています。

節句に人々の行き来が途絶えたのはいつ頃からでしょうか。

 

  • 次回    3月6日(月)10時より
  • 次々回        4月3日(月)10時より
  • その次   5月22日(月)10時より

 

 

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2023年1月の鈴木藤助日記を読む会

1月16日(月)鈴木藤助日記を読む会が開かれました。

 

神奈川県立歴史博物館の寺西明子先生のお話。

神奈川県立歴史博物館では、特別陳列「松平造酒助江戸在勤日記―武士の絵日記―」が、2月18日から4月9日まで開催されます。

松平造酒助は庄内藩の上級武士で元治元年8月より約1年間江戸に在勤し、江戸市中取締を主導する任にあたりました。造酒助が江戸在勤中に国元へ送った日記や書簡から、江戸における生活や職務、幕末江戸の様相を紹介します。日記には愛らしい挿絵がふんだんに描かれており、挿絵から当時の様子を読み取ることもできます。

【特別陳列】松平造酒助江戸在勤日記-武士の絵日記- | 神奈川県立歴史博物館

 

「鈴木藤助日記」は、嘉永6年(1853年)6月28日より7月4日までの記事を読みました。

7月3日、小野路村より柿が届き、柿渋を作る様子が記されています。柿渋には、防虫、防腐、防水、薬など多岐にわたる効能があり、平安の昔から使われてきたことが知られています。藤助家で柿渋を販売していたのでしょうか。

7月1日、現在の川崎市宮前区初山辺りで猪が出没、近くの村人たちが捕まえようと追いかけたけれども捕まえられなかったとあります。今では考えられませんが、当時は猪が生息する地域だったとは興味深いことです。

 

  • 次回    2月27日(月)10時より
  • 次々回   3月6日(月)10時より
  • その次   4月3日(月)10時より

 

 

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