10月20日(火)、鈴木藤助日記を読む会が開かれました。
コロナウィルス流行により半年の休会を過ごし、再開して2回目の集まりでした。
川崎市の宝である「鈴木藤助日記」の原本は、今年の夏、所蔵者である鈴木家から神奈川県立歴史博物館に寄贈されました。今までも横浜市歴史博物館での展示史料としてお目見えすることはありましたが、今後は研究史料として扱われることがさらに増えることを期待したいと思います。
「鈴木藤助日記」は、明治7年6月6日より6月22日までの記事を読みました。
6月12日、藤助は東京に出掛けています。娘おむらの嫁ぎ先である湯嶋に寄り、上野東照宮や浅草観音に参詣し、芝辺りの掛方を廻り、麻布の墓参り、麴町へ入歯(歯医者ヵ)に行って、16日に帰宅しています。
18日に湯嶋の祖父が死去しているところをみると、藤助の湯嶋行きは娘の嫁ぎ先家族へのお見舞いだったのでしょう。藤助の住む長尾村(現在の川崎市宮前区神木本町)から東京までどのような交通手段で行ったのか想像が膨らみます。
6月8日、田起こし(田むくり)が行われ、9日、田んぼに水を入れ土を平らにならしていく作業(あらしろ)が行われています。着々と田植えの準備がなされ、17日、田植えが行われました。田植えの時期とすると少し遅いように思いますが、おくての稲だったのかもしれません。
- 次 回 2020年11月17日(火)10時より
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